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ららら♪あーちゃん

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可愛い!

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言葉はいらなくなる可愛さ。
孫だからと言うのでもなく、
赤ちゃんに限らず、子猫、子犬、
誰もが触り、抱きとめたくなる、小さき可愛さ。


スマホでこれが撮れるのにも、感心しながら。
アヤちゃんの横顔が、ベストショット。

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by rarakirara-you | 2014-04-30 09:52 | | Comments(2)

それぞれの頑張る


「頑張る」という言葉、
正直、あまり好きではありません。
(でも、頑張り時の頑張りは必要です。)

 

今は、病気の人には禁句だと言われ、
その意味も広く理解されています。

 

「何を持って頑張りとするか」と書いたように、
その人それぞれの「頑張る」の認識の違い、
が、あるからです。
その言葉がエネルギーになる人には
ステキな言葉でもあります。

 

 「客観的に見る」が、
「頑張っている自分」に気付く
有効な手立てだと書いてきましたが、
私の言う「頑張っている」は、
「私は、よくやってるよなあ~」的な
見方を、自分にしてあげてほしいということ。

 

人が、周りが、言う、頑張ってるに
惑わされることはない、ということです。

 

自分の物差しで。
自分の中での些細な当たり前に、
自分が一番に○をあげること。
それが、
自分を大切にするということ。

 

その「自分を大切にする」が、
「自分が、自分の一番の味方!」になるということ。

 

「自分が、自分の一番の味方」になってあげてほしいと、
願うのです。

 


 


by rarakirara-you | 2014-04-26 10:55 | 親業 | Comments(0)

歩いてる!


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2週間ぶりに会うアヤちゃん、
『ヨチヨチ歩き』全開!!!
摑まりたい、がまだあるから、
可愛いヨチヨチで寄って来てくれます。
すかさず抱きしめます!たまらない可愛さ010.gif
 
この時間も、アッという間に過ぎるんだろうなあ~
 
 
 



2週間ほど前のコタくんの春休み、
IKEAでランチ。
無料サービスのベビーフード、
かぶりつきに、思わず笑っちゃう1枚。

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by rarakirara-you | 2014-04-25 10:38 | | Comments(0)

客観的に見る心と行動


心と行動を分けて見ます。
客観的に見るは、

「頑張っている自分に気付く」
有効な考え方です。

 

・朝、家族のため、出勤のため、早起きする姿
・一人で食事の用意をする姿
・電車で通勤する姿
・子どもと一緒に遊ぶ姿
・夜中に授乳する姿
・本を読んでいる自分の姿

 

何を持って「頑張っている」にするか。
自分では、些細な当たり前と思っていることも、
その一つ一つに、その自分に○(まる)をあげる。

 

映像の中に見える自分は「頑張ってるじゃあないか~」
と、○をあげていいものばかりです。
上から眺めている自分が、迷うことなく
○をあげるのです。

 

一歩引いて見てみると、十分頑張っている自分の姿、
見えるはずです。

 

あなたが見る映像の中で、
あなたは、何をしていますか?

 

 


 


by rarakirara-you | 2014-04-23 13:22 | 親業 | Comments(2)


例えの私の話し。

 

以前、母のことを書きましたが、
その時の私を、上から眺めると、
病院へ、電車バスを乗り継いで
通っている自分が見えます。

 

通う自分の姿を眺め「3年も続けたね~」と、
大きなスパンで眺められました。

 

その姿に、何を想うのかの気持ちに
フォーカス、ズームするのではなく、
単純に、病院に通い続ける姿にだけ、
フォーカス、ズームする、そんなイメージです。

 

その時の想いに馳せる、は削ぎ落とし、
病院に通い続ける姿だけを、
上から眺める。

 

映像の中の自分の気持ちを、
汲み取ろうとする必要はありません。
ただ眺める。

 

「頑張っている自分」の動きしか、目に残りません。

 

その都度の想いに向き合うのは、
その後です。
心と行動、分けて見てあげるのです。

 

 

 

 

 

 

 


 


by rarakirara-you | 2014-04-22 09:25 | 親業 | Comments(0)

客観的に見る、というのは、
言葉としてよく使われますが、
人はどんな形で、それをイメージし、
理解したとするのだろうか。
きっと、それぞれの見方があることでしょう。

 


私の捉え方です。
「自分を見る」とか「自分に向き合う」とか、
とは違う「客観的に自分を見る」が、
「頑張ってる自分を見つける」
のに、一番有効だと思います。

 

一歩引いてというのは、言葉通り、
映画のスクリーンの一場面のイメージ。
幽体離脱ではないが、
そのスクリーンの中の自分を、その場面の自分を、
上から眺める、イメージ。

 

単純に映像のイメージでいいのです。
喋らない映像が、尚いい。
見えるのは、自分の動き。













by rarakirara-you | 2014-04-21 09:23 | 親業 | Comments(0)

一歩引いて、見えるもの

信頼する友人に、「客観的な目で、飛ばし過ぎに見えるよ」
「だって、あなたの文章を、もっとゆっくり
味わいたいのに…」
を言われてやっと、ハッとだ。

 


自分でも気付いていたが、修正のきっかけが
見えなくなっていた。
というか、「味わいたい」で読んでもらえるに、
不安があった。
反対に、ブログを楽しむ、もあったり。
でも、目的は持っているのだから、で進んだ。

 


基本、体験主義の私、
やって、見て、感じて、考える。
だからの一連の流れで、大丈夫のつもり…。

 


その時の正直な感じるを大切にした。
でも、変化はやってくる。

 


その瞬間、には何ひとつ、正直に!以外にはないのだが、
時間は、変化をもたらす。
色んな、やってみて~、は変化をもたらす。

 

 


自分の変化と修正、
一歩引いて自分を見て、
見えるもの。





















by rarakirara-you | 2014-04-18 09:14 | ひとり言 | Comments(0)

満月

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昨日の夜、カレンダーで満月と気付いてベランダへ、
目に映る月は本当にきれいで。

スマホで撮るのは無理かな?
カメラだったら綺麗に撮れるのかな~。

綺麗に撮りたい。

でも、この目では見れた!キレイ~。。。






by rarakirara-you | 2014-04-16 10:10 | ちょこっと休憩 | Comments(0)

臨床とことば

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ある出来事に自分なりの
意味づけが出来たところに、
タイムリーな本を手にしました。

「臨床とことば」河合隼雄×鷲田清一・著

鷲田清一の本は、難しくてややこしい。
最後まで辿り着きません(^_^;)
ああ~そうそう、という所だけ拾います。

ただこの「臨床とことば」は、河合隼雄との対談で、
お互いがお互いの解説をする感じで、
読みやすく、さすが、河合隼雄と思ってしまう。

前半の河合隼雄の文章で印象的なのが、
「さまざまな距離」の中の、
 
 距離と言えば、対人距離のみではなく、
 一人の個人内における、心と体、
 思考と感情などの関係とその距離感
 などということも考えてみるべきだろう。

後半の鷲田清一の文章では、「語り」について、
の中の件(くだり)
 
 他者の理解においては、同じ想いになること
 ではなく、- 略 -
 その分かろうとする姿勢にこそ他者は時に
 応えるということである。
 ことばを受けとってくれたという感触の方が、
 主張を受け入れてくれたということよりも
 意味が大きい。

もう一つ
 
「ことばが注意をもって聞き取られることが
 必要なのではない。注意をもって聴く耳があって、
 はじめてことばが生まれるのである」


自分の感じ方、考え方にokをもらった。
「聞く」で、相対する時、
言葉をツカマエルではなく、
安心する存在として、そこにいよう…。





by rarakirara-you | 2014-04-14 10:27 | | Comments(0)

母の花、ラナンキュラス

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今日は、母の命日。

もう亡くなって19年。

ラナンキュラスの花に、

母との一場面を思い出します。



30数年前の話しになりますが、

長男を出産する2ヶ月ほど前、

10日間入院する事態がありました。


その、入院の毎日に、母が届けてくれたのが、

庭に咲くラナンキュラスでした。

黄色にピンク、今も記憶に残ります。


でも、母の想いへの感謝など、

若い私にはありませんでした。


でも今は、命日には必ず、

ラナンキュラスの花を探します。

(今日は探すのに苦労しました)


母が亡くなる前の3年間は、

壮絶といっていいほどの3年でした。

母は、71歳で、ALS(筋委縮症)と、やっと病名が

分かっての入院生活。




介護する側の父や兄との、

葛藤を抱えながら。

通う私にも、出口が見えない3年でした。


母は自分の子を2人亡くしています。


母の最後のこの3年は、私のための3年だったのでは…と、

母を「かわいそうに」ではなく、

「ありがとう」で、見送れたことに、

振り返った時に始めて、3年の積み重ねに、

救われた想い、の答えを見つけました。



ラナンキュラスの花は、

そんな最後の苦しみの中にいた母ではなく、

ラナンキュラスを届けてくれた時の母、


そんな記憶と共に「私の母の花」となりました。




by rarakirara-you | 2014-04-11 21:03 | ひとり言 | Comments(2)

「親コミュ~福岡~」の富田です。福岡博多から子育てママへエールを送る、応援ブログです。「おばあちゃん」と呼ばれることに、ささやかな抵抗で「あーちゃん」です。


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