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ららら♪あーちゃん

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巡り来る桜に思う

池田晶子「暮らしの哲学」より

      ---- 略 ----
  要するに、生と死、すなわち他でもない
  「人生」というものに、
  深いところで触れてくるのですね、この「桜」、
  もしくは「春」というこの季節は。
  そう言えば高一の春の授業で安岡章太郎の
  「春は残酷な季節だ」「始まりは痛みである」
  という文章…
  それから30年、今ならこの作者が感じている
  ことがはっきりと分かりますね。
       --- 略 ---
  おそらく、何かは確実に過ぎ去ったのだ。
  過ぎ去って還らないという思いが強くある、
  それが「痛み」なのだ。
  始まりが痛みであるのは、
  過ぎ去って還らないものを
  後ろに残して始まる、そのことが「痛い」のだ。

  失くしたものがある、過ぎ去って還らないもの、
  失われて戻らないもの、その不在の感覚が、
  けれども春になると変わらず咲く桜の花に、
  その満開に、鮮やかに痛いのでしょうね。
       --- 略 ---
  人生は過ぎ去って還らないけれど、春は、
  繰り返し巡り来る。
  一回的な人生と
  永遠に巡る季節が交差するそこに
  桜が満開の花を咲かせる。
  人が桜の花を見たいのは、そこに
  魂の永遠性、永遠の循環性を見るからだ。
 
  始まりを繰り返すことの痛みは、
  終わりへ向かうことへの痛みでもあるだろう。
  花は儚いと人は言う、自分の人生がそうで
  あるようにと。
  しかし、儚さは、儚いままやはり巡っている。
  永遠的なことを知ることにおいて、人は、
  自分を自分と思うことの不可能と
  意味を知るだろう。


    。。。。。。。。。。

私は如何にたくさんのものを持っていたのだろう、
宝と呼べるたくさんのものを。
でも、確実に「その時、その時」はもう過ぎ去った。
新しい時間に向かってはいる、
この瞬間にもたくさんのものを持っているのも
知っている。

でも、痛みもあった。
前回ひと括りで「眩しい」と表現したが、
深いところで、この「痛み」と
セットなのも感じていた。

久しぶりに開いた池田晶子の本に、
「痛み」の正体を活字で確認できた。

私も「私の痛み」を持っていた。

「痛み」の正体を、「持っている」からこそと知り、
「眩しい」を、清々しく豊かな心で言える。








by rarakirara-you | 2015-04-14 10:04 | ひとり言 | Comments(4)

それぞれのスタート


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入学式前に桜の下で


子ども達の新しい世界へのスタートです。

沖縄にいる一番上の孫は、中学一年生。
コタくんは、小学一年生。
若い友人のお子さんハルキくんは、幼稚園入園。
もう一人の若い友人のお嬢さんは、大学生。

みんなそれぞれに新しい世界が始まりました。

未来しかない子ども達を見ることを
幸せに感じながら、
私は、本当に見守るしかないのを感じます。

見守る役回りは、それはそれで、
幸せに違いないけれど、
眩しく感じて、
とてもとても眩しく感じて…、
子育て真っ盛りのママ達にも、
とても眩しくて…を感じてしまいます。

でも、不安でいっぱいのママ達も
いらっしゃるでしょうね。
でもね、でもね、
「あなた達は、光輝いていますよ!」

私は、その眩しさで、
60過ぎてからの生き方も、
思ったよりも難しいと…、
あまりにも眩しく感じてしまって、
ちょっと考えてしまいました。

私も私のこれからを。。。。。











by rarakirara-you | 2015-04-11 10:30 | | Comments(2)

「親コミュ~福岡~」の富田です。福岡博多から子育てママへエールを送る、応援ブログです。「おばあちゃん」と呼ばれることに、ささやかな抵抗で「あーちゃん」です。


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